<参考>ミサワホームの選択と結果

消費税後の住宅不況と2つのルート

消費税が5%になった1997年以降(住宅は1996年10月契約から)、戸建住宅の需要数は激減。さらに、サラリーマンの収入が1997年をピークに減少。悪化の一途をたどる状況に、大手住宅メーカーは、どちらの方向に舵を切るか、決断を迫られます。

ひとつは、付加価値を高め、一棟あたりの価格・利益を重視するルート。積水ハウス、セキスイハイムなどが、この道を選びました。

もうひとつが、ローコスト住宅へのシフト。このルートを最初に、かつダイナミックに進んだのが、ミサワホームでした。

ミサワホーム再建への道のり

ミサワホーム 販売頭数推移 1995年~2004年2001年、ミサワホームは、LIMITED25という、坪単価25万円の商品を販売開始。最初の一ヶ月で3,728棟も受注します。
※通常は、全商品を合計して、一ヶ月に平均約1,500棟の受注でした。

業界全員が注目する中、ミサワホームはLIMITED25をさらに拡販し、他社と一線を画すようになります。

しかし、その路線は長く続きませんでした。
LIMITED25は記録的な販売数となりましたが、他の商品が軒並み売れなくなったのです。

従来の中高級層にとって、ローコスト住宅の登場は、イメージダウンでした。結果、多くの顧客が、中高級路線を強化した積水ハウスなどに流れてしまいました。

さらに、残った顧客層の中には、中高級商品からLIMITED25に乗り換える人も多かったと言います。いわゆるカニバリズム(共食い)です。

他の商品の半額以下のLIMITED25は、新しい顧客の開拓による受注拡大を狙った商品だったのですが、ふたを開けてみれば、今までの客層が逃げてしまい、全体の受注棟数は減少してしまいました。

これが引き金となりました。

ミサワホームはもともと、バブル期に事業の多角化、不動産投資などに積極的であったことが災いし、多額の有利子負債をかかえていました。

メインバンクの旧UFJ銀行からは、二度にわたる金融支援を受けますが、本業挽回をかけたLIMITED25の失敗の影響は大きく、2003年、創業者の三澤千代治社長(当時)は、責任を取って辞任します。

ついに2004年、産業再生機構、トヨタ自動車の支援を受けることとなり、再建への道を模索します。

そして、中高級路線に戻すために、商品・技術開発を地道に続け、2006年ごろから、ようやくかつての客層が戻ってくるようになりました。

一方、創業者の三澤千代治氏は、MISAWA international という新しい住宅会社を設立しました。 2008年、MISAWA international とエス・バイ・エルが提携し、新たな動きとして着目しています。

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original:2008-June.-26; updated:2008-June.-30; © 2003-2012 housemaker.jp all rights reserved.